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Greeting
ご挨拶

監督 藤原 良弘
監督 藤原 良弘

日頃よりワイルドローバーに多数の温かいご支援、ご声援を賜り、この場をお借りして心より御礼を申し上げます。

昨年は入替戦でなんとか勝利を収め、お陰様で念願のDvi.1に復帰出来ることとなりました。怪我人が多く苦しいシーズンでしたが、選手、スタッフが最後まであきらめずに、「昇格」に執念を燃やしてくれた結果であったと嬉しく思っております。

さて今シーズンはDvi.1での戦いです。このタフなステージで「勝者」になるには近道はありません。「真理は平凡の中にある」各々個々が己の出来ることを日々100%出し切る努力の積重ね以外に方法はありません。

フットボールにおいても学業においても、また同志社大学生としても日々鍛錬してくれると信じており、厳しく指導していきたいと思っております。フットボールは皆様のご支援なしには成り立ちません。本年度も引き続き、ご支援、ご声援の程を宜しくお願い申し上げます。

主将 笹尾 健
主将 笹尾 健

2019年度主将を務めさせていただきます笹尾健です。WILD ROVERにいつもご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。昨年度は目標であったDiv.1昇格を成し遂げることができました。しかし、私はあくまでスタートラインに戻っただけだと考えております。WILD ROVERには更なる成長を期待できる可能性を秘めたメンバーがたくさんいます。また、WILD ROVERというチーム自体も更なる高みを目指せる可能性のあるチームだと自負しております。私はそんなチームの先頭に立ち、全員の道標となり、一丸となって必ず歴代の先輩方が築き上げてきWILD ROVERの歴史を塗り替えてみせます。今後ともWILD ROVERへのご支援、ご声援のほど宜しくお願い致します。

副将 河原 正真
副将 河原 正真

2019年度副将を務めさせていただきます河原正真と申します。いつもWILD ROVERに多大なご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。

おかげさまで昨年度は無事Div.1に復帰することができました。

WILD ROVERは過去9年間入替戦に出場しております。今年こそは1部リーグで結果を残し、今までの歴史を変えてみせます。そのためには自分達の掲げた「ALLOUT」というスローガンのもと日々の取り組みの1つ1つをを最後までやり通し、WILD ROVERを根本から変えることで1部で結果を残してみせます。その為に副将としてチームを引っ張り妥協を許さず取り組みます。

今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。

副将 三浦 直輝
副将 三浦 直輝

いつもご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。2019年度、副将を務めさせていただきます三浦直輝と申します。

昨年度は努力の甲斐あり、Div.1に昇格することができました。今年度はWILD ROVERにとって勝負の年になると考えております。今後Div.1という舞台で戦い抜いていく上で、今年の取り組みというのは今後のWILD ROVERの明暗を左右する程大事な物になると考えており、WILD ROVERというチームの根本を覆す様な取り組みをして行こうと考えております。それを踏まえた上で、私は副将として主将と共にチームを引っ張って行き、チームに対して影響力も示していくことで、チームの勝利へと貢献したいと考えております。今後とも、ご支援ご声援の程をよろしくお願いします。

主務 鏡味 奈央
主務 鏡味 奈央

いつも多大なるご支援、ご声援をいただき誠にありがとうございます。

2019年度主務を務めさせていただきます鏡味奈央と申します。

昨年度はおかげさまで入替戦に勝利することができ、今年度は1年ぶりのDiv.1の舞台での戦いになります。決して楽な道のりではありませんが、私たちは常に上を目指し続けます。主務という立場としましても同志社大学WILD ROVERとしてのプライドと責任を持ち、全力でチームをサポートしていく所存です。

「今年の同志社は違う」と言っていただけるためにも必ず同志社大学WILD ROVERの歴史を変えてみせます。

日々支えてくださっている皆様に結果で恩返しができるよう、日々精進して参ります。今後とも、ご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。

About the WILD ROVER
チーム名「WILD ROVER」とは

WILD ROVERは、創立者 新島襄が密出国後上海からアメリカ ボストンまで乗船した船の名前。
1865年7月20日。一隻の船が、ボストンに到着する。
その10年後、1875年に山本覚馬とともに同志社英学校を開校する「新島襄」を乗せた船『WILD ROVER号』である。
新島襄は1843年、江戸の神田にあった上州安中藩板倉家江戸屋敷で、藩士の子として生まれた。幼名を七五三太(しめた)という。元服後、友人からアメリカの地図書を受け取り、アメリカの制度に触れ、アメリカに憧れを持つようになる。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学ぶ。ある日、アメリカ人宣教師が訳した漢訳聖書を手にし衝撃をうけ「福音が自由に教えられている国に行くこと」を決意。備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗船していたこともあり、当時は禁止されていた海外渡航を思い立つ。1864年、アメリカ合衆国への渡航を画策し、再び「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。函館で坂本龍馬の従兄弟である沢辺琢磨や福士卯之吉の協力を得、1864年6月21歳の新島は、鎖国令を犯して米船ベルリン号で密出国を果たす。
上海でアメリカに向かうため乗り換えた船がWILD ROVER号である。(全長約57メートル、幅10メートル、マストが3本で重さは1100トン、ボストン・ハーディ商会の船)
WILD ROVER号への乗船が、その後のアメリカ生活を支え、フィリップスアカデミー、アマースト大学、アンドーヴァー神学校で教育を授け、さらに帰国後も支援をするA・ハーディー夫妻と出会いにつながる。