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Greeting
ご挨拶

監督 藤原 良弘
監督 藤原 良弘

日頃よりワイルドローバーに多数の温かいご支援、ご声援を賜り、この場をお借りして心より御礼を申し上げます。昨年は入替戦で勝利を収め、お陰様でDvi.1残留となりました。怪我人が多く苦しいシーズンでしたが、選手、スタッフが最後まであきらめずに、入替戦での勝利に執念を燃やしてくれた結果であったと嬉しく思っております。さて今シーズンも昨年と同様、Dvi.1での戦いです。このタフなステージで「勝者」になるには近道はありません。「真理は平凡の中にある」各々個々が己の出来ることを日々100%出し切る努力の積重ね以外に方法はありません。フットボールにおいても学業においても、また同志社大学生としても日々鍛錬してくれると信じており、厳しく指導していきたいと思っております。フットボールは皆様のご支援なしには成り立ちません。本年度も引き続き、ご支援、ご声援の程を宜しくお願い申し上げます。

主将 竹田 佑将

2020年度主将を務めさせていただきます竹田です。WILD ROVERにいつもご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。昨年度は入替戦に行ったもののなんとか一部に残留することができました。しかし、それで満足していいチームじゃありません。WILD ROVERには更なる可能性を秘めたメンバーがたくさんいます。WILD ROVERというチーム自体も更なる高みを目指せる可能性を秘めていると自負しています。私はそんなチームの先頭に立ち、全員の道標となり、一丸となって必ず歴代の先輩方が築き上げてきたWILD ROVERの歴史を塗り替えてみせます。今後ともWILD ROVERへのご支援、ご声援のほど宜しくお願い致します。

副将 田中 響
副将 田中 響

2020年度副将を務めさせていただきます田中響と申します。いつもWILD ROVERに多大なご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。おかげさまで、去年は無事Div.1に残留することができました。WILD ROVERは11年間連続で入れ替え戦に出場しております。今年こそは1部リーグで結果を残し、歴史を変えます。そのためには私達のスローガンである「ALL OUT」を元に、挑戦を恐れず、変化を絶えず求め続けWILD ROVER を変えてみせます。その為に副将としてチームを引っ張り妥協を許さず取り組みます。今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。

副将 安田 健人
副将 安田 健人

いつもご支援、ご声援を頂き誠にありがとうございます。2020年度、副将を務めさせていただきます安田健人と申します。今年度はWILD ROVERにとって歴史を変える年になると考えております。今後Div.1という舞台で戦い抜いていく上で、今年の取り組みというのは今後のWILD ROVERの明暗を左右する程大事な物になると考えており、WILD ROVERというチームの根本を覆す様な取り組みをして行こうと考えております。それを踏まえた上で、私は副将として主将と共にチームを引っ張って行き、チームに対して影響力も示していくことで、チームの勝利へと貢献したいと考えております。今後とも、ご支援ご声援の程をよろしくお願いします。

主務 鯖田 菜帆
主務 鯖田 菜帆

日頃よりWILDROVERに多大なるご支援ご声援頂き、誠にありがとうございます。2020年度主務を務めさせて頂きます、鯖田菜帆と申します。昨年度無事に入替戦に勝利し、今年度もDiv.1の舞台での戦いとなります。決して楽な道のりではありませんが、WILDROVERは「歴史を変える」ことができるチームだと自信を持って断言できます。チームとして組織力をより強化し、チームメンバー全員でWILDROVERの歴史を変えてみせます。そして主務として同志社大学WILDROVERの責任とプライドを持ち、たくさんの方々に愛されるチームを作っていきます。日頃から支えて頂いているたくさんの方々に勝利という形で恩返しができるよう、日々精進してまいります。今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。

About the WILD ROVER
チーム名「WILD ROVER」とは

WILD ROVERは、創立者 新島襄が密出国後上海からアメリカ ボストンまで乗船した船の名前。
1865年7月20日。一隻の船が、ボストンに到着する。
その10年後、1875年に山本覚馬とともに同志社英学校を開校する「新島襄」を乗せた船『WILD ROVER号』である。
新島襄は1843年、江戸の神田にあった上州安中藩板倉家江戸屋敷で、藩士の子として生まれた。幼名を七五三太(しめた)という。元服後、友人からアメリカの地図書を受け取り、アメリカの制度に触れ、アメリカに憧れを持つようになる。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学ぶ。ある日、アメリカ人宣教師が訳した漢訳聖書を手にし衝撃をうけ「福音が自由に教えられている国に行くこと」を決意。備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗船していたこともあり、当時は禁止されていた海外渡航を思い立つ。1864年、アメリカ合衆国への渡航を画策し、再び「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。函館で坂本龍馬の従兄弟である沢辺琢磨や福士卯之吉の協力を得、1864年6月21歳の新島は、鎖国令を犯して米船ベルリン号で密出国を果たす。
上海でアメリカに向かうため乗り換えた船がWILD ROVER号である。(全長約57メートル、幅10メートル、マストが3本で重さは1100トン、ボストン・ハーディ商会の船)
WILD ROVER号への乗船が、その後のアメリカ生活を支え、フィリップスアカデミー、アマースト大学、アンドーヴァー神学校で教育を授け、さらに帰国後も支援をするA・ハーディー夫妻と出会いにつながる。